薄暗い森の中、暗い雲に覆われた空は今にも泣き出しそうだ。
程なく森の木々では遮れない程の雨が降り出した。
セレンとガーラルの二人は、アスタミルの西の村で、洞窟に住み着いたゴブリン退治の仕事を請け負っていた。
アスタミルのダンジョンでの仕事の後、しばらくカイン達とダンジョン探索を続けていたのだが、カインとアルマが時折見せる睦まじい様子に、セレンが耐えられなくなり、西の城塞都市「グラバルド」に移動する事にしたのだ。
カイン達は別れを惜しんだが、セレンの意思は固く、ガーラルも彼女について行くことにした。
その旅の途中、立ち寄った村で村長から森の洞窟にゴブリンが住み着いたので退治して欲しいと頼まれた。
二人は急ぐ旅でもなし、路銀の足しにとその依頼を受けた。
ゴブリン自体は十匹程で、二人でも駆逐するのは問題なく出来た。
しかし、天候はいかんともしがたく、濡れて風邪をひいても馬鹿らしいと木の下で雨宿りをしていたのだが、雨脚は強くなる一方だった。
「どうする?ゴブリンの洞窟まで戻る?」
「距離から考えて微妙な所だの。それにゴブリンの居た洞窟での雨宿りは気がすすまん。」
「確かにね。でもこのままじゃずぶ濡れよ。」
ガーラルは来る途中、森の中で見た屋根の事を思い出した。
見えた屋根の大きさから考えて、家というよりは館といったほうが、しっくりくるものだった。
恐らく貴族か裕福な商人の別荘ではないだろうか。
あの館なら使用人が居れば、頼めば馬小屋ぐらい使わせてくれるかもしれない。
誰もいなければ、軒先を借りよう。
「来る時に館を見た。覚えておるか?」
「ああ、なんかあったわね。そこに行くの?」
「うむ、木の下よりはマシじゃろう。」
「そうね。誰かいれば雨宿りも出来て、食べ物も貰えるかもしれないし。」
「楽観的じゃし、厚かましいのう。」
「うるさいわね!そうと決まれば早く行きましょ。」
「うむ。」
二人は記憶を頼りに館があった場所を目指し、雨の中を急いだ。
フード付きのマントは雨に濡れ重く、日も傾き森の空気は冷たさを増している。
出来れば館に人が居て、暖かいスープの一杯でも恵んでもらえれば、言うことは無いのだが。
館に辿り着いた二人の願いは空しく崩れ去った。
館は長い間手入れされた様子もなく、庭も荒れ果てており人の気配はなかった。
建物自体は窓も割れておらず、雨宿りするぐらいなら何とかなりそうだ。
さび付いた門を開け、玄関ポーチに駆け込む。
近くで見ると、暗い空も相まって古びた館は一層不気味に見えた。
「……中に入る?」
セレンが気乗りしない様子で聞いてくる。
「当然じゃ。ポーチでは雨を凌ぎきれん。どうやら廃棄されておるようだし、すこし借りても大丈夫じゃろ。」
「でもなんだか気味が悪いわ。」
「何を言っておる。ダンジョンでは散々ゾンビを倒したではないか。」
「ゾンビやゴーストなんかは、モンスターとして認識されてるからいいの。そうじゃ無くて……お化けとか出そうじゃない?」
「お化けはゴーストの事じゃろう。儂が聖水を持っておるから、一匹二匹どうという事は無い。」
「そう言う事じゃないんだけど…。」
「どちらにせよ、服を乾かさんと風邪をひく。さっさと入るぞ。」
ガーラルがドアノブを回す。鍵はかかっていないようだ。
ノブを引くとドアは軋んだ音を立てた。
斧を構え様子を伺い中に入る。
セレンはガーラルのマントの端を握って後に続いた。
薄暗いエントランスホールから、二階に階段が続いている。
床には埃が積もっており、長い間、館に足を踏み入れた者がいない事を示していた。
奥に長いホールの左右に両開きのドアが見える。その奥にはこれも左右対称に廊下が伸びていた。
廊下の先にも左右に両開きのドア、一階ホールには全部で四つ扉があった。
ホールの奥、階段の横に暖炉を見つけたガーラルはそちらに向かった。
暖炉の前には絨毯が敷かれ、ソファーと背の低いテーブルが置かれていた。
客が一時、待つための物だろう。
暖炉の上には、壮年の男の肖像画が飾られている。この館の持ち主だろうか?
「ふむ、ここで火を起こそう。儂は庭で木を切ってくる。」
「待ってよ、私も行く。ドライアドに頼めば枝を分けてくれるわ。」
「それもそうじゃな。無駄に木を倒す必要もないか。」
庭に出て生い茂った木の下で、セレンが願うと木が震え、十分な量の枝が落ちてきた。
二人で手分けして拾い集め、ドライアドに礼を言って館に戻る。
二人は暖炉の前に戻り、二人で枝を暖炉に並べた。
使い切らなかった枝は暖炉の脇に置く。
ソファーの埃を払い、マントをひじ掛けに置いた。
マントに沁み込んだ水が、ソファーを濡らしていく。
ガーラルは背負っていた雑嚢を下ろし、ランタンを取り出した。
一緒に取り出した油紙から、マッチを出し火を灯す。
精霊に願い全ての枝を炭に変え、その暖炉の炭に油をふりかけ魔法で火を点けた。
折り畳み式の五徳と鍋を取り出し、五徳を設置した後、鍋に水を入れ火にかけた。
「とにかく着替えよう。セレン、儂は隣の部屋を見て来る。その間に着替えろ。」
「えっ!?一人にしないでよ!」
「隣の部屋を見て来るだけじゃ。それにそのレイピアは飾りではあるまい?」
「うぅ、声を上げたらすぐ戻って来てよ。」
「分かっておる。火を見ておいてくれ。」
心細そうにこちらを見るセレンを残し、ガーラルはランタンを腰につけ、斧を持って玄関左手の部屋のドアを開いた。
そこは応接室のようで、ソファーとテーブル、壁には女性の肖像画や風景画が飾られていた。
こちらも床には埃が積もっていた。
やはり長い間使われていないようだ。
入り口とは別に、窓とは逆側に扉がある。
恐らく廊下につながっているのだろう。
不意に視線を感じ、ガーラルはそちらに目を向けた。
肖像画の女性が、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「気の所為かの?」
ガーラルには一瞬、肖像画の女性がひどく歪んだ笑顔を浮かべた様に見えた。
使える物がないか探して回ったが、目ぼしい物は見つからなかった。
その間も何かに見られている感覚を時折感じた。
ホールに戻る事にして、ドアをノックする。
「開けるぞ。着替えは終わったか?」
「終わってる。」
ホールに戻るとセレンは替えのシャツとズボンに着替えてソファーに座っていた。
着ていた服、鎧、ブーツ、グローブ等は火の側に置いて乾かしている。
「何かあった?」
「応接室のようじゃ。やはりこの館は長く使われておらんようじゃのう。」
「どうする?探索する?」
「やめておこう。探索してお宝を見つけても、持ち出せば盗みじゃ。雨を凌げるだけで十分じゃ。」
「そうね。」
ガーラルは、暖炉の近くに行き、鎧を脱いだ。
マントのお蔭で、鎧下はそれほど濡れずに済んだ。
セレンと同様、鎧を雑嚢から出した乾いた布で拭き、濡れた物を火の側に置いて服を着替えた。
シャツから除く二の腕を見てセレンがぼそりと言う。
「貴方がドワーフじゃ無ければね。」
「どういう事じゃ?」
「筋肉とかは理想的なんだけど、背の低さは致命的よね。」
「余計なお世話じゃ。それに儂はドワーフの中では背の高いほうじゃ。」
「そうなの?あんまりドワーフに知り合いはいないから。」
「しかしなぜ筋肉にこだわる?エルフの好みはすらりとした男じゃろ?」
「あっ!聞いちゃう?私の王子様の話?」
「どうせ暇じゃしな。話してくれ。」
ガーラルは雑嚢を探り、パンとチーズをテーブルに置き、鍋に沸かした湯に干し肉を入れスープを作りつつ、セレンの話に耳を傾けた。
「あれは二十年くらい前かしら、私はまだ子供で森の集落で暮らしていたわ……」
その当時、セレンは今の様に精霊とうまく会話が出来ず、仲の良い風の精霊も気まぐれに言う事を聞いてくれる程度だった。
その日、集落を出て一人森で遊んでいた彼女は、大人たちから行ってはいけないと、きつく言われていた黒い森に、気付かぬうちに足を踏み入れていた。
黒い森には当時、狼の集団が住み着いていた。
特にリーダー格の銀色の狼は体も大きく狡猾で、集落のエルフも何人か犠牲になっていた。
エルフたちは狼を狩ろうとしたが、追い詰めることが出来ず、何度も取り逃していた。
セレンはその森の中で、迷子になってしまったらしい。
「森の民が、森で迷子になるなんて笑っちゃうでしょう。」
ガーラルは笑わなかった。
洞窟で迷うドワーフもいる。
幼子なら別段おかしな事ではない。
「続けてくれ。それからどうなった?」
ガーラルは出来上がったスープをカップに注ぎ、セレンに手渡し続きを促した。
「ありがと。私は森の外に向かっていたつもりだったんだけど、実際はどんどん奥に進んでいたみたい。」
カップを両手で持ち、息を吹きかけ冷ましながら、セレンは話しを続けた。
日が落ち、名前の通り黒い森となった森の中で、セレンは行くも戻るも出来ず、膝を抱えて泣いていた。
気が付けば、彼女の周りの茂みから獣の唸り声が聞こえて来る。
怯えて周りを見渡す彼女の前に、銀色の狼が姿を見せた。
狼は低い唸り声を上げ、牙を剥いた。
彼女は必死で風の精霊に呼びかけ、精霊は呼びかけに応じ小さな風の刃を狼に放った。
だがそれは逆効果だった。
刃は狼の鼻に小さな傷をつけ、いきり立たせただけだった。
牙を剥きだし襲い掛かって来た狼に対し、セレンは頭を抱えうずくまることしか出来なかった。
死を覚悟したセレンだったが、予想した痛みは訪れず金属音と獣の悲鳴が聞こえた。
ごつごつした手で頭を撫でられ、恐る恐る目を開けると、銀色の狼の首が地面に転がっている。
ヒッと声を上げるセレンの耳に、低い男の声が入ってくる。
「大丈夫か?安心しろ。ボスが死んだんで、他の奴らは逃げた。」
見上げると彫りの深いハンサムな男の姿があった。
助かったと分かったとたん、セレンは腰が抜けた。
そんなセレンに男は優しく問いかけた。
「近くのエルフの村の子かい?」
必死で頷くセレンの頭を再度優しく撫で、男はセレンを背負って森を抜けた。
その後、男はセレンを探していたエルフに彼女を預け、再び黒い森に戻っていた。
「気が動転していて、あまりよく覚えていないんだけど、逞しい腕と土の匂いはよく覚えているの。成長してから人間の街に出て剣闘士の試合を見た時、地面を転がって土に塗れながら猛獣と戦う姿を見て、これだ!って思ったのよね。」
「なるほど、幼いお主を助けた男が理想という訳か。」
「そういう事。まあその人が人間だとしたら中年になってると思うけど。」
セレンが話を終えるころには食事も終わり、服や鎧も乾いていた。
雨はまだ降り続いている。
どちらにしても、夜明けまではここに居た方がいいだろう。
二人は交代で仮眠を取る事にし、ガーラルは先にセレンを休ませ火の番をした。